身辺雑多 その88

大島純男牧師の「ヨブ記」

2003年9月14日

 春日井教会の牧師で、今期愛知西地区会長でもあられる大島純男牧師が「ヨブ記」を出版された。
 6月だったか7月だったか、大島牧師に呼ばれた。今度出版するものを決めるために相談したいということだった。「何故私に?」と思いながらも「夕食をごちそうする」という言葉に釣られて行ってみると、もう一人、教会の方で水谷すみ子さんという歌人が来ておられた。大島先生はこれまでに書きためたものをリストにして私たちに示された。リストを眺めながら、実際の文章と照らし合わせながら水谷さんも私も「ヨブ記がいい」と言った(実際は他にも捨てがたいものがたくさんあったのだが・・・「先ず」ヨブ記にしたわけだ)。

 さまざまにお手伝いをするつもりであったが、私は7月下旬から入院してしまったので何もできなかった。その間に原稿が印刷屋さんに回ったというお知らせをくださった。そして今こうして立派に書物になって届けられてきた。

 ヨブ記は実に不思議な魅力を持つ書物である。読み出したらおもしろくて途中でやめられない本というものがあるが、ヨブ記はそうではない。ヨブと3人の友だち+エリフの繰り返し繰り返し行われる問答にはむしろうんざりするくらいだ。それにもかかわらず、ヨブ記は昔から多くの人を惹きつけてやまない書物である。ひとえに「無垢で正しい人」であるヨブがとんでもない災難に遭う。慰めに来たはずの「友人」たちがヨブの愚痴にたまりかねて抵抗勢力になってしまうのだ。こうして満身創痍の1人の「自分は正しい」という主張は3人に非難されるのだ。自民党総裁選の話ではない。

 大島先生の講解は簡潔である。御言葉を私たちが受け取っていくのに必要なことだけを述べていく。準備する段階でかなり多くの聖書にかかわる知識を得ているはずであるが、それらはあまり表に出ることがない。講解の目的が聖書についての知識を広めるためではなく、むしろ深く聖書に生きる人々を生み出すことだからである。

 そういう意味で、1個所印象に残った個所を挙げておく。最後の場面、すべての議論の決着が神によって与えられる。3人の友人たちは彼らの必死の弁証にもかかわらず、神はヨブの方を正しいと認定され、友人たちに非ありとされた。そしてヨブがとりなすならば、彼らを罰しないと約束された。そこでヨブは彼らのために執り成しをする。この前私が教会の聖書研究会でやった時にはさっと流してしまったところだが、大島先生はこのヨブの執り成しに注目して言う。

 罵倒された者が、罵倒した者のために祈ることは困難である。イエスは「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)と命じられた。3人の友は、ヨブの惨状を聞き「見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやってきた」(2章11節)のであるから、敵であるとは言えないが、その後の彼らの言葉を聞いていると、まるで敵が発するような言葉の連続であった。その彼らのために祈ったヨブを神は喜びをもって受け入れられたのである。

 他にも多々学ばせられるところの多い書物である。


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