2003年9月12日
| 東海水害から3周年になった。 あの年の9月11日は月曜日で、愛知西地区教師会が予定されていた。しかし、他の委員から「どうしますか」と相談された私は「やめましょう」と答えて中止を決断し、ただちに各教会に連絡した。 夕刻、気になる教会員がいたので車で向かった新瑞橋交差点が海のようになっていた。そしてその西側の裏道に入ったのが失敗だった。走行をあきらめて放置された自動車によって通路がなくなっていたのだ。やむなく近隣のお宅の駐車場に乗り上げてUターンをした。その時ドアの隙間から車内に水が入り、1ヶ月前に買ったばかりのカーナビが水没した。かろうじてエンジンは止まることなく家まで帰り着くことができた。行こうとしたお宅は幸いにも床下に少し浸水する程度で留まった。植木鉢などはだいぶ流されたらしいが・・・。 夜にはいると野並方面の天白川流域や庄内・新川流域の新川町の様子などが伝わってきた。そして深夜というか早朝3:55ついに西区あし原町で新川の堤防が決壊した。最も高いところでは路面から2m近くも水位が上がった。 今朝、5:55から決壊個所の斜め前にあるあし原公園の東海水害記念碑前で「絆と水の祈り」と題した記念式が行われた。 急な計画だったので集まった人はそう多くなかったが10団体が呼びかけ団体となった。既に解散した「東海水害被災者支援の会」に代わって今年度発足したばかりの愛知西地区「東海地震対策準備委員会」がそこに名を連ねることができた。 記念式は「小田井地域から水害のなくす会」の井上さんが司会し、石田音人さん(胡弓)、伊藤卓也さん(パーカッション)、牧原一路さん(尺八)、錦城真理子さん(キーボード)、佐伯枝美さん(ボーカル)の音楽演奏を交え、ノアの鈴木さんが趣旨説明と呼び掛け団体を紹介し、レスキュー・ストックヤードの栗田さんが挨拶をした。皆で「ふるさと」とこの水害の記憶を歌った「水仙−風に光る花−」を歌い、最後に重度障害者通所施設「友の家」の戸水さんが閉会の宣言をして終わった。 教団からは「東海地震・・・委員会」の宮地委員長と私が出席した。 マスコミ数社が取材に来ており、鈴木さんや新川町から駆けつけた方に取材をしていた。 昼12時のNHKニュースのローカルニュースで取り上げられ私たちも映っていた。 |
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| 水害から3年経って、このあたりの建物の壁を見ても水害の水位がわかるような痕跡はもうない。「友の家」も何もなかったかのような日常生活が行われているということだ。しかし、水害の体験は生かされなければならない。期限ギリギリになって新川町の住民が国と県を相手取って訴訟を起こした。国や自治体が行政の責任として行わなければならないこともあるだろう。また個人個人が自らの責任において行わうべき事もあるだろう。いずれにしても災害が起こった時に被害を受けるのは住民である。住民の視点を行政ももって欲しいと思う。 |