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身辺雑多

その20 生まれ故郷

東武練馬駅

 ずっと長い間「いつか実現したい」と思っていたことをようやく実現することができた。それは自分が生まれ育った場所を見てくるということである。それに類することを高校生の頃やったことがあった。その時は「自分の本籍地を確認する」であった。私の本籍地は東京都中央区八丁堀三丁目である。地図を見ながら歩いてみた。そして後でわかったことは現在の地図に載っているのは「住居表示」である。それに対して戸籍簿に記載されている本籍地は「地番」である。同じ町内には違いないのだが、その下の数字は住居表示の「1番2号」と地籍簿の「1番地2甲(乙丙)」では場所が異なるのである。

 さて、今回は本籍地でなく生まれ育った町である。
私は板橋区徳丸本町259番地というところに6歳まで住んでいた。今では徳丸1丁目というらしい。

覚えていること

 東上線東武練馬駅を降りて北へ歩いていくのだ。私の記憶ではその道(不動通り)は低いところにあって、左手の高台には都立北野高校があり、私の家は不動通りから「こやの」さんというパン屋?さんの角で1本右の道へ入り、右手の高台へ登っていく狭い坂道の途中にあった。O氏という地主さんの持ち家であるアパート(というよりは長屋という方がピッタリ来る)に住んでいた。O氏宅の裏は山林で、登っていくとO氏の本家があった。長屋の裏は竹藪の崖であり、崖下の道と不動通りの間は空き地になっており、家の裏からは北野高校がよく見えた。

 そして家よりさらに坂を登って上まで行くと晴れた日には富士山が見えた。しばしば父と一緒に富士山を見に行ったことを覚えている。

 不動通りをずっと北へ行くとやがて小川を渡り、広い道路を横断すると一面に徳丸たんぼが広がる。私は両親と春は芹を摘みに(ヒバリの声が響き渡っていた)、秋はイナゴを取りに、そして禁を犯してこっそり友達とカエルを取りに出かけていったのだ。

 それだけの記憶を基にして、訪ねてみる。地図に載っている確実なポイントは北野高校と徳丸小学校である。

歩いてみると・・・

 まず我が家である。東武練馬駅近くの駐車場に車を置いて歩いてみる。駅は高いところにある。駅前に富士銀行がある。たぶんこの支店が開業したとき、うちはここに口座を作ったはずだ。坂を下って不動通りに入り少し歩く。斜面にびっしりと家が張り付いている。長崎を思い出した。私が子供の頃はもちろんこんなに家はなかった。それらしい坂道を幾つか歩いてみたが、どうもわからない。まず、6歳までの幼児の感覚と大人である自分の感覚のズレが大きい。崖の高さは子どもの目には高く見えたが実際はそれほどではないらしい。

 長屋のあった場所を決める決定打を三つ見いだした。家主のO氏の家は見つからなかったが、同族の本家O氏宅と下のO氏宅を見つけたのだ。本家O氏宅は今なお広い山林を有していた。その奥の方に邸宅が覗いていた。下のO氏宅には土の壁を持つ建物が今も保存されていた。もう一つ、私が母からもらったお金を握りしめて買いに行ったパン屋さん、こやの商店はなくなっていたが、その場所に建っているビルの郵便受けに「小屋野」という名前を見いだしたのだ。
 O氏の自宅と長屋と竹藪の斜面があった場所がマンションになっていた。

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